マジシャン(日本)
11月11日朝、何気なく朝刊のテレビ欄に目をやっていると、NHKの欄にマジシャン・ミスターハンディという文字が目に入りました。
テレビをつけてみるとそれはある障害を持った青年のドキュメンタリーでした。
題名は『福岡にんげん交差点「笑顔の花を咲かせます〜マジシャン ミスターハンディの奮闘」』
名前は森裕生さん。生まれた時の障害(脳性麻痺)で両手両足が不自由です。それに言葉もすらすらとは喋れません.
一人で歩けるようになったのは18歳になってからだそうです.
そんな体でマジックを習い、様々な施設や病院でマジックを披露し人々に笑顔と元気を与えています。
私なんかは「手が小さいからトランプマジックは苦手」なんて練習不足を言い訳に何かと逃げまわっている人なので、このような姿を見ると反省させられるし、胸が熱くなってしまいます。
彼のことを紹介しているホームページを見つけたので紹介します。なんと今度は作家デビューだそうです。
http://machi.monokatari.jp/index.php?itemid=995
このほかにも障害を持った子供達のために積極的に、講演活動なども行っているそうです。
番組の最後で彼の言葉
「僕が、 会場に、 入って、 行くと、 子ども、 たちが、 ドン引き、 するんです。
でも、 マジックが、 終わると、 みんな、 笑顔で、 握手を、 求めに、 来てくれるんです。
これ、 イリュージョンです。」
素敵なイリュージョニストに拍手 (^-^)//””ぱちぱち
ナポレオンズ
日本の2人組プロマジシャンである。名前はナポレオン・ボナパルトから。主にステージでのショーを行う。コミックマジックの範疇に分類されることが多い。日本奇術協会広報委員長。
専修大学マジック同好会でコンビを結成。1977年に「マジック・ナポレオンズ」としてデビュー。その後、「ナポレオンズ」と改名。のちに、ナポレオンという名を使わせてもらっていることを報告し、その「許可」をもらうためにフランスのナポレオン・ボナパルトの墓前を訪ねた話が知られている。
当初は「正統派」マジックを演じたが、現在ではギャグを取り入れた形式へ転換。400種を超えるバラエティ豊かなレパートリーで活躍し、1988年のFISMハーグ大会にて「グランドイリュージョン部門第3位」に入賞の実績を持つ。そのほかにも国内での受賞歴は多く、大会など様々なイベントへのゲスト出演も多い。
主にパルト小石がトークで盛り上げ、ボナ植木がマジックを行う。有名な芸としては「あったまぐるぐる」「空中浮遊」など。似非手品ともいえる種や仕掛けが分かりきったような芸を披露することもあるが、本格的なマジックも多数披露しており決してお笑いで終わらず、不思議さを保った良質のエンターテイメントである。基本的に2人の衣装は長袖だが、ボナ植木は袖をまくってマジックを行う。
「世界が僕らのステージだ!」というキャッチコピーを掲げるが、その言葉通りにアジア、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカでの公演を成功させている。
テレビのバラエティー番組でMr.マリックのトリックを次から次に暴き、Mr.マリックが半泣きになったことがある。(念のために記すが、これはトリックを暴かれて追い詰められてMr.マリックが泣いたということではなく、追い詰められて半泣きになるというところまでがテレビ番組上の演出である[1])
万人に受ける芸風で人気は高く、テレビなどで活躍。著書も多く、一般に広く認知されている。
- あったまぐるぐる
- 専用の小道具をパルト小石の頭部にかぶせて回すと頭部がぐるぐると360度以上回転する(ように見える)。
- 空中浮遊
- 「師匠である引田天功(初代)が教えてくれた唯一の手品」という口上で始める。パルト小石やボナ植木の身体が宙に浮く(ように見える)。
主な賞歴
- 1988年 世界マジックコンテスト(FISM) 第3位
- 2003年 文化庁芸術祭 演芸部門優秀賞(関東参加公演の部)[2]
- 2005年 日本クロースアップマジシャンズ協会 JAPAN CUP 2005 マジシャン・オブ・ザ・イヤー[3]
マギー 審司
(まぎー しんじ、本名:三浦 審(みうら しん)、1973年11月11日 - )は、お笑いタレント・手品師。4人兄弟の次男。
宮城県気仙沼市出身。血液型:RH-B型。宮城県気仙沼高等学校卒。俳優村上弘明、フリーアナウンサー生島ヒロシ、声優千葉一伸の後輩である。
- 実家は気仙沼市で電器店を営む。審司ブレイク後は店頭に電気製品と共に、奇術の小道具も扱うようになった。
- 手品師のマギー司郎の三番弟子である。
- しゃべり方が、どことなく師匠の司郎に似ており、芸風はマギー一門を正当に継承。
- 「手品師」という職業名に拘り、「マジシャン」と自称することは稀である。本人曰く「本当はお笑い芸人になりたかった」と言う通り、お笑い芸人の一人として分類されることが多い。
- 一時期、アメリカで寿司修行中にTIMというマジシャンからマジックを習ったと言い、ショーの最後では「ちゃんとした」マジックを披露する。
- マギー一門に入門したのは「楽そうだから」という理由(弟子入り希望の際、マギー司郎宛てに手紙ではなくハガキを送ったらしい)。実際に入ってみると本当に楽だったという。
- 意図的に下手糞なマジックや、誰もが知っているネタをやって笑いを取ることに特徴がある。得意なネタは、大きくなる耳。最近は小さくなる耳をやる。その後親指の小さな耳を突き出し、大木こだまの「チッチキチー」をやることも。
- マギー司郎に弟子入りしてから、逆に手品の技術が落ちたと公言している。
- 相棒はぬいぐるみのラッキーとその妹のアンラッキー。巧みな指使いで、あたかも本当に生きているかのように動かすことができる。2005年から玩具メーカーの増田屋と契約し、ラッキーの友達としてモーラーが新たにペットに加わった。
- 小道具はいつも東急ハンズで購入。
- マジックだけでなくものまねもやる(ゆーとぴあのピース、伊東四朗など ピースのものまねは明石家さんまも絶賛するほどの腕前)。
- マギー一門の所属事務所はオフィス樹木だが、審司は一人で舞台などを任せられるためマセキ芸能社に所属している。
- ふじいあきらとはネタを交換しあう程仲が良く、たまに共演もする。
- 2006年8月25日にモデルの吉田有希(よしだ ゆき)と結婚。一部スポーツ誌で字が同じであるアイドルの吉田有希(よしだ ゆうき)と間違って報道された(アッコにおまかせ!より)
- 2005年6月頃、交際が発覚。取材にも「付き合っています」と堂々と答え、更にはお互いのblogでは同じ日付に同じ場所で遊んでいる等共通点も多く、特に交際を隠してはいなかった。
- 2006年9月2日、テレビ朝日系放送の「アメトークお笑い祭り1クールのレギュラーより1回の伝説SP!!」にて、本人曰く「19歳の頃はアメリカで寿司屋をやっていた」とのこと。
マギー司郎(マギー しろう)
本名:野澤司郎、1946年3月17日 - )は、茨城県下館市(現 筑西市)出身のタレント、手品師である。弟子はマギー隆司、マギー審司など多数。日本奇術協会相談役。オフィス樹木所属。
得意なマジックは、「縦ジマのハンカチを横ジマにすること」、「麦茶をウーロン茶にすること」である。
メガネにヒゲ、飄々としてとぼけた茨城訛りのトークで観客を煙に巻く。 このトークは、かつてストリップショーの前座を任されていた頃、手品だけでは時間が余るため始めたという。
手品は、素朴な小道具を使う。CMでも師弟での共演を果たしている。
師匠は「正統派」マジシャンであり、本人も一時期スライハンドマジックを演じていたことがある。
主に「縦ジマのハンカチを横ジマにするマジック」からスタートする。また、「板橋(鉾田町などの場合も多い)に○○って飲み屋があるの知ってる?そこに週5回通う、常連の○○って人知ってる?その人が大好きなマジック今からやるから」などの小話を挟む。しかし、終盤には必ず高度なマジックを見せており、マジシャンとしての技能は相当なことがうかがい知れる。
余談だが、司郎は神奈川県のある会場で普通の紙を1万円札に変えるマジックを行った時、「偽札を製造した疑い」で警察の事情聴取を受けたというエピソードがある。
なぜか複数のアパートの部屋を借りており、事情や場所に応じてそのうちの一つに泊まるという生活を送っている。
受賞歴
- 昭和56年放送演芸大賞ホープ賞
- 昭和57年放送演芸大賞ホープ賞
- 平成9年 奇術協会天洋賞
トランプマン(1968年 - )は、『なるほど!ザ・ワールド』出演などで人気を博したプロマジシャン。別名義でオリジナル・マジックも発表している。いくつかのトランプマン・キャラクター商品が発売された 本名、国籍などは非公開とされている。
メイクしたときの顔がタモリにものすごく似ていたため「トランプマンはタモリではないのか?」というウワサが流れたが、「笑っていいとも!」でタモリと共演、目の前でマジックを披露し、同一人物ではないことを証明したことがある。その後「'92なるほど!ザ・秋の祭典スペシャル」敗者復活戦にてのギャグとして、タモリとトランプマンは「親戚」と自称していた。また、『なるほど!ザ・ワールド』内でMr.マリックとのマジック対決を幾度か行ったこともある。基本的にしゃべらないが、ものまね王座決定戦に出演した際は出演者らとトークをした。
ムッシュ・ピエール
M.PIERR
MAGICIAN
クロースアップマジックからステージマジック、
強烈な個性が人を魅了する
栃木生まれの怪しいフランス人
生年月日 1971年 8月17日
出生地 栃木県足利市
血液型 B型
星 座 獅子座
1991年 4月 大阪大学奇術研究会入部
1999年 8月 マジシャンルビー天禄に入門、
北新地のマジックバー「バーノンズ・バー」の専属マジシャンになる
2000年 11月 大阪国際マジック大会「なにわのマジックコンベンション、クロースアップ部門3位
2003年 7月 TBSテレビUSOジャパンマジックバトルSPに関西代表として出場
山上兄弟(やまがみきょうだい)は、兄・佳之介と弟・暁之進によるギネス・ワールド・レコーズ認定の世界最年少イリュージョニスト。父親はテーブルマジックの名手、北見伸。
プロフィール
兄:山上 佳之介(やまがみ よしのすけ、1994年8月11日 - )
好きな物:マジック、ヨーグルト、メロン、すもも、梅干、麦茶
愛称:よっち
将来の夢:マジシャン
弟:山上 暁之進(やまがみ あきのしん、1995年12月1日 - )
好きな物:電車、新幹線、お絵かき、ブロック遊び、ルイボス茶、スイカ、メロン
愛称:あっきー
将来の夢:芸能人野球チーム。しかし、その都度変わる。
山上兄弟は、2000年に兄の佳之介が北見伸の演出ステージの子役として6歳でデビュー。翌、2001年に弟の暁之進がケージマジックの仕掛けに入ったため、兄弟で出演するようになった。2001年、TX系列のテレビ出演を皮切りに海外局を含む様々なテレビジョンプログラムに出演。国内外のイベントやマジックの大会、出版メディアなど積極的に進出した。
2002年にはギネス・ワールド・レコーズ(通称「ギネスブック」)にて「世界最年少イリュージョニスト」の認定が受理された。また、初のリサイタルを開き、同年12月には日本奇術協会より特別賞を受賞。2003年にマジック協会国際連合の第22回オランダ大会でイリュージョン部門4位。日本クロースアップマジシャンズ協会JAPAN CUPでマジシャン・オブ・ザ・イヤー2005を受賞。
その後アメリカにも進出し、ラスベガスなどで演技した。
ステージで歌っている曲を収めたCD、子ども向けのマジックDVD、ハウツー本や写真集、カレンダーなどが発売されているほか、ガシャポンや食玩をはじめとしたマジック玩具の契約を持っている。 2005年末のNHK紅白歌合戦で応援マジックを披露するなどメディア媒体への進出成果が著しい
本日は松田道弘さんのご紹介です。
マジックの専門書コーナーには必ず松田さんの本が並んでいます。どれも3千円近くする専門書。入門書が終わって本格的にやってみたいときに手に取るとよろしいかと思います。
松田道弘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松田 道弘(まつだ みちひろ、1936年 - )は、京都府出身の著述家。
同志社大学経済学部卒業。関西放送勤務などを経て著述家へ。日本奇術界の大御所、故・高木重朗と親交があり、また自身も奇術への造詣が深く膨大な知識量を誇る。 方法論やオリジナルマジックを解説する文章はわかりやすく、内容も豊富なその著書は奇術愛好家の必需品。 『即席マジック入門』や『松田道弘 あそびの冒険シリーズ』などは日本奇術書籍界の金字塔ともいえる。
沢 浩 (さわ ひろし)
聞いたことありますか。この名前。誰でしょう?
分かり易くいうとMr.マリックの師匠です。
凄い方なのですがプロではありません。アマチュアなのです。
「ダイバーノン」という世界的に有名なマジシャンが来日したとき沢氏の考案した手品を見て絶賛したと言われています。
沢 浩(さわ ひろし)は、岐阜県関市生まれのアマチュアマジシャン。本業は歯科医師。日本大学歯学部卒。歯科医師であるから別名Dr.SAWA(ドクターサワ)と呼ばれる。マジッククリエーターとしても名高い。
1969年、ダイ・バーノンが初来日したとき、彼は沢のマジックを見て「沢のマジックにはポエムがある」と言った。ダイ・バーノンがきっかけとなり、口コミや専門誌などで沢の名は世界中に知れ渡った。
沢浩が世に送ったマジックは数多い。カードやコインといった仕掛けだけでなく、貝殻や水晶といった自然素材を使うことも沢の特徴である。
弟子には、Mr.マリック(当時 松尾天昭)、マギー司郎、スピリット百瀬他にも多数いる。
1960年、大学一年の時に、小児科の研究室にいた神谷省吾からマジックの指導を受けた。当時、神谷から言われた言葉が「沢君、自分で奇術を創ることは、自分の服を着ることだよ」である。
1969年、27歳のときクロースアップ・マジックの神様ダイ・バーノンが初来日した際、日本人5人がマジックを見せた。その時、沢は「真珠物語」を披露し、このマジックがダイ・バーノンをうならせた。ダイ・バーノンから唯一「天才」と呼ばれた。はじめて沢のマジックに接したバーノンの驚きが尋常ではなかったため、口コミや専門誌などでも、沢の名前はいっぺんに世界中に知れ渡ることになった。
1973年、第六回石田天海賞を受賞。そのときの作品集が『沢浩作品集(加藤英夫著)』である。1974年12月に東京の京王プラザホテルで沢の「石田賞受賞パーティー」が開かれた。
マジックのテンヨーから沢さんの考案によるマジックが発売されているのでご紹介します


